食事とは、自分を大切にすること。
食事とは、自分を大切にするためにある。
(この記事も、オンラインサロンと同時投稿しています「思考癖#118 食事とは何か (2/ 」)
勇人くん(実兄・「株式会社 子育ての家」社長)が、見学会来場者から「家なんか要らない」と言われたことで、ほんとにそうか?要らないのか?そんなわけはない、家は必要だ、では何のために必要なのか、”家は何のためにあるのか”を自問し続け導き出した答えがある。
それが「住まいとは、子育てのためにある」ということ。
だから「子育て優先で、家族が健康で心豊かに暮らせるための家」”だけ”を建てる。全国どこでも!
これはつまり「住まいとは何か」という問いから、”住まいを再定義した”のだけど、構造としては「自分は何を信じているのか」を言語化したという事。
それと同じようにおがわのじかんも、選択されない=要らないとなれば、僕は何を信じているのかを導き出さなくてはいけないし、それは避けては通れない道であると思ってきた。
(でもなかなか正面から向き合えずにいた。なぜなら答えを導き出せる気がしなかったから。全然近くに感じないというか。ぽかんと思考停止しちゃうというか。時が来ていなかった)
(時間がなかったとはカッコ悪くて言いたくない😂)
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綺麗な言葉であるほど、上滑りする。ツルツルよぉ。
例えば「食べることは、生きること」っていうけれど、みんな別に生き死にに直面しているわけじゃないから、どうしても上滑りしちゃうところがある。
だからもっと日常に近いニュアンスを持つ表現がしたかった。
この腹の底からわかっている言葉だって、体験しない限りは上滑りする。
上滑りってつまり他人事。
どんな言葉にすれば、自分ごととして考えられるようになるのか。
誰かではなく、自分のことや近くに感じられる、そんな言葉を探す。
頭で考えて考えて、アウトプットして、そしたら周りから返ってきて、ふとお腹から出てくる言葉がある。
あぁそういうことなのか、と。
先の記事に関して、サロンメンバーとやりとりをして。
その中に通底しているものに気づく。
あらゆる言葉の根っこにある何かとは何か。
みんなが共通して使っている言葉がある。
本質的なものや普遍的なものは、僕らが生まれるよりずっと前からあるから、そこからわかる(始まる)というより、事象からそれを導き出すことになる。
木からりんごが落ちたから、重力に気付けた。
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さて。
いつものようにここは頭の中なので、脱線しまくりですけども、たどり着いたのはこちら。
少しでもわかりやすいように、「子育ての家」と並列で書いてみます。
住まいとは、子育てのためにある。
食事とは、自分を(誰かを)大切にするためにある。
子育ては、住まいから。
自分を(誰かを)大切にするのは、食事から。
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うちはレストランだから、外食だけ再定義できればよかったのだけど、瑞木さんは結局「医療人」であるし(経営者でもない)、誰よりも家族を大事にしたいし、今はサロンもやってメンバーの食事や体調のことを想っていることを踏まえると、外食よりも広義な食事について整理することの方が、今はしっくり来た。
「自分を(誰かを)大切にするのは、食事から」
(サロンメンバーがほとんど辞めないのは、みんなこう考えているからかもしれないなとふと思った)
そう信じているから、作り置きの献立を配信するし、お料理を冷凍してお届けするし、お店でそれを直接提供する。
誰だって100点満点でいつも自分を大切にできるわけじゃないから、そんな時はおがわのじかんがあなたを大切にしますキリッ
「おがわのじかんとは、
自分を大切にする場所であり、
自分を大切にしてくれる場所」
「他人事」の反対は
「自分事」ではなく
「大切にすること」
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